ドラキュラ芝居・映画

  

 『吸血鬼ドラキュラ』の最初の芝居は小説発売に連動させたタイアップ作品であった。著者のブラム自身がアーヴィング劇団のマネージャーなのでかようなセッティングが可能だった訳だが、劇団主催者アーヴィング卿をドラキュラ役につけようとの目論見は実現しなかった。これはアーヴィング卿の、シェークスピア俳優としてのプライドが許さなかったためと思われる。

 その後ながらく活字だけの存在だった『ドラキュラ』を再びステージに引っぱり出したのが俳優ハミルトン・ディーンである。彼も最初はアーヴィング劇団の一員としてデビューした人物で、アメリカで初期の映画に出演たりして演技を磨き、1923年に自分の劇団をつくって『ドラキュラ』公演の準備に乗り出したのである。

 表が黒で裏が緋色のケープと、イヴニング・ドレスを伯爵の衣装として採用したのはこの時で、夜中のリハーサル中に不審に思って劇場に入ってきた警官が、棺の中から起き上がったドラキュラを見て、「吸血鬼だあ!」と叫んで逃げ出したというエピソードがある。

 本当はディーン自ら伯爵を演じたかったのだが、劇団の都合でエドマンド・ブレイクに譲り、かわりにヴァン・ヘルシング教授の役をつとめることとなった。24年6月の初公演は、新聞の劇評はひどかったが、興業的には見事な大当たりをとった。あまりの恐怖に失神する女性客が続出したため、劇場のロビーに看護婦を用意する必要があったといわれ、どこにいっても『ドラキュラ』ばかりが要求されるので、ディーンの劇団は『ドラキュラ』以外の劇が出来なくなるほどであった。

 しかし実は、『ドラキュラ』にかんしては芝居よりも映画の方が早かった。早くも21年にハンガリー映画『DRAKURA』が公開されているが、これはフィルムが残っていないので詳細不明である。音楽教師のドラキュラが精神病院の患者を襲うという話であったようである。

 現在でも鑑賞出来る最も古いドラキュラ映画は22年の『ノスフェラトゥ、恐怖の交響楽』である。よく出来たサイレント映画で、マックス・シュレック註1演じる伯爵も芝居のそれより原作の風貌に近いものとなっているが、完全に『吸血鬼ドラキュラ』の映画化であるにもかかわらず版権者ブラム・ストーカー未亡人の許可をとっておらず、それを誤魔化すためにタイトルや舞台や登場人物の名前を変えるというとんでもないことをやっていた。封切り後すぐに裁判沙汰になって上映差止を喰らい、それでも制作会社のプラナ社が金がなくて原作料が払えなかったことからフィルムもネガも廃棄処分となってしまった。しかしイギリス映画協会の取り持ちでなんとかネガだけが保存され、28年になってようやくアメリカのユニヴァーサル映画会社が別ヴァージョンのフィルムを買い取って、『吸血鬼ノスフェラトゥ』のタイトルで公開へと漕ぎ着けたのであった。

 註1 シュレック(schreck)は「恐怖」を意味し、芸名かと思ってしまうが実は本名である。

 そのユニヴァーサル社も独自のドラキュラ映画をとりたがっており、そこで伯爵役として、ディーンの劇団で伯爵を演じたことのあるベラ・ルゴシに白羽の矢に立てられた。ルゴシはハンガリー生まれで、もともとトランシルヴァニアはハンガリー(オーストリア・ハンガリー帝国)領だったことから、ルゴシの重苦しいハンガリー訛りとゆっくりとした口調がぴったりときたのであった。そういえば小説の中で伯爵は「わしの国では姓を先にいう習慣なので」と語っているが、国とは多分ハンガリーのことでしょう。

 それはともかく、ルゴシはハンガリーの演劇アカデミーに学んだだけあって気品のある伯爵を演じ、31年に公開された『魔人ドラキュラ』は11万ドルもの興業収入を得ることが出来た。おかげでルゴシは伯爵以外のどんな役についてもしっくりこないまま終ってしまうのだが、56年に亡くなった時には、自身の希望により『魔人ドラキュラ』でまとった黒のケープにくるまれて埋葬されたのであった。

 ちなみにこの作品にはスペイン語バージョンが存在するのだが、吹き替えはでなく何とわざわざ別の俳優で撮り直している。セットは同じものの使いまわしだが、映像的にはこちらの方が凝っているとのこと。

 戦後、怪奇映画の本場はイギリスのハマー・フィルムに移った。『魔人ドラキュラ』のヒット後、ユニヴァーサル社は『フランケンシュタイン』や『狼男』、ドラキュラの続編『女ドラキュラ』等を制作していたが、ハマー・フィルムは怪物の使用権を買い取り、57年の『フランケンシュタインの逆襲』等を世界的にヒットさせたのである。その「フランケンシュタイン」で怪物の役をつとめた人物こそが「最高のドラキュラ俳優」クリストファー・リーその人である註2。リー本人はロンドン生まれだが母方の従兄弟が本物の伯爵で、しかもイタリアの名門ボルジア家の血を引いていた。

 註2 フランケンシュタインの役はピーター・カッシング。彼は58年公開の『吸血鬼ドラキュラ』ではヴァン・ヘルシングの役を演じている。

 かくして58年に公開された『吸血鬼ドラキュラ』は、予算がなくてルーマニア・ロケが出来なかったせいで舞台はイギリスが中心となってしまった(にしてもこの映画はみるからに低予算である)が、その分リーの西欧貴族然とした風貌が際立ち、ユニヴァーサル映画のルゴシと違って軽快に動き回った。怒ると目が赤く光り、血を吸う時にむき出しになる長い犬歯等々、現在の我々がイメージするドラキュラ伯爵の顔や雰囲気は彼クリストファー・リーが決定づけたのである註3

 註3 リーはドラキュラ以外にも様々な映画に出て大活躍しています。

 リーはこの後にも65年の『凶人ドラキュラ』、70年の『ドラキュラ・吸血のデアボリカ』に出演し、彼以降にも様々なドラキュラ映画がつくられているが、私はあまりよく知らないし、詳しい人に読まれると恥ずかしいので映画の話はこの辺りで終りとする。(私個人としてはリーよりルゴシの方がよろしいかと思います。一番好きなのは『ドラキュラ都へ行く』のジョージ・ハミルトン)

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